殺人と国家

殺人を許容する人はほとんどいないと思います。
もし殺人を許容するなら、自分が殺されることを許容しなければならないからです。従って、殺人を認めるべきではありません。
「そんな当たり前のことをわざわざ書くな」と思われる人もいるかと思いますが、「我々」は殺人を例外的に認めるケースがあるので、ここは大事なポイントです。

殺人が認められる主なケースは、各国の刑法での死刑と、戦争です。いずれも国家による殺人です。(個人による「止むを得ない殺人」は正当防衛、また、いくつかの国では安楽死がありますが、個人が初めから殺意を持って他者を殺すというケースは、基本的に違法であり、認められていません。)

つまり、多くの国では、国内で個人が行う殺人は違法であり認められませんが、これが「国家」となれば認められます。故チャールズ・チャップリンの指摘通りです。
(死刑に関しての話は、当サイトの主旨とやや外れるのでここでは避けます。が、「殺人を認めるべきではない」とだけ書いておきます。)

さて、問題の「戦争」のケースですが、なぜ国家だけが人を殺しても良いのでしょう?

個人レベルの争いでは、ほとんどの国で殺人を認めていません。では、例えば町あるいは村同士の意見の相違があり、決裂した場合、いちいち殺し合うでしょうか? 都道府県間の意見の相違があった場合、殺し合うでしょうか。この集団の単位が「国」になった途端「ま、しょうがない」になってませんか? ここで思考停止に陥ってしまっているように思います。
国の上のレベルに警察力を与えれば、国家間の争いを止められるはずです。それはやはり国連しかないと思います。

「好きで戦争をする人などいない。大切なもの(価値観や人など)を守る為に止むを得ず戦うのだ」また、「国民を守るのは、国家だけだ」
戦争を容認する場合、このような考えが一般的と思われますが、だから各国の判断で殺して良いのでしょうか?
僕はそう思いません。「可能なら、何の恨みもない他者を殺したくないし、殺されたくない」という点について同意できれば、世界共通の意思として「戦争は犯罪なので、仕掛けた側を罰する」という方向へ行くべきです。

また、戦争をおっ始めるのは政府ですが、実際に殺し合うのは一般庶民です。政府関係者は、少なくとも戦争中は(彼らは危険なところには行かないので)大体死にません。そんな政府に「国を守る為に戦ってきてくれ」って言われて、我々はその政策に賛成・反対の意思に関係なく、全く恨みのない人を殺しに行きます。相手国も大体同じで、結局なんだかよく分かっていない、あるいは「敵は憎い」と教えられた一般庶民が殺し合うことになります。

とある友人がその昔「戦争するって言うなら代表者だけで殺し合ってくれたらいい」と言っていました。(具体的には、「穴を掘ってその中に政府の代表者と人数分の武器を放り込もう。我々は穴の上から観戦」って。)現実的ではありませんが、正直そんな気持ちになります。