もめたら殺し合う?

「もめたら殺し合いましょう」というのが、現在の国際社会のルールです。

国際法とかいうのがあったり、国際連合とかいうのもあったりしますが、それらはうまく機能しておらず、「話し合いが決裂した場合は、殺すぞという姿勢を見せるか、あるいは実際に殺し合って、ギブアップしなかった側の意見を採用しましょう」ということになっています。

この「もめたら殺し合い」という、文字にするのも恥ずかしい現状を打開するにはどうすればいいでしょう。

「もめても殺し合いません」というルールを強制する必要があります。

しかし日本国内の状態を考えてみた場合、もめようがもめまいが殺し合いはダメですし、そもそも殺すのはダメですが、人間も色々なので、すぐに「あいつを殺したい」と思う人もいるでしょう。それでも、そういう人の殺人実行への意欲を削いで、結果、周囲のあっちこっちで殺人や殺し合いが発生していない主な理由は、
・法律で禁じられている。
・殺したら罰を受けることが分かっている。
といったところでしょうか。(他には、日本では殺傷に最適な道具である銃器を所持するハードルが高いというのも、要因でしょう。)

このような、国内では常識のルールが国際社会では存在しないので、今はもめたら殺し合っています。

「殺人は犯罪で、殺そうとした側が犯罪者である。従って攻撃側を罰する。」という国際法を制定しなくてはなりません。(たぶん、これに近いものは既にあるのだとは思います。)が、重要なのはこの先で、それを強制する力(警察力)が必要です。

この警察力ですが、どこか1つの国、あるいは4~5か国の意向で動くのは不自然極まりないことです。例えばですが、日本には47都道府県があるのに、日本全体の警察の指揮権が一つの県に与えられているとか、5つの県の集まりで指揮するとか、そんなバカげた話はありません。ルールは一つですし、そのルールを強制する、全体の意向を反映した警察の治安維持は必要と大多数の人が考えています。

「もめても殺し合わない」という子供でも分かるルールが国際社会で通用していないのは、ざっくりとした話では政治家の努力不足、個別の問題では国連常任理事国が根拠なく国際社会を牛耳っているからです。

なぜ常任理事国だけがそんなにエライのでしょうか。「この前、戦争に勝ったから」または「核兵器を持っているから」、あるいはこの両方です。

いずれも論理的根拠がなく、ガキ大将、チンピラ、暴力団を放置しているのと同じです。要するに国連常任理事国は、暴力団です。と言ったら言い過ぎでしょうか。

しかし僕は政治家を悪人とは思いません。彼らは「世の中を良くしたい」の一心で政治家を志し、今もその実現に努力しているはずです。(そうですよね? 政治家の皆様。)

もちろん今持っている権利や力を奪われることについては、かなりの抵抗があるでしょう。それでも、もういい加減「もめたら殺し合いましょう」は終わりにして、その実現に向けて彼らは努力することができるはずだと思います。それが結果的に国民の安全を保障することになるからです。逆に「国を守る」「国民を守る」と言いながら国民を危険にさらすのは、ややペテン気味と批判されてもおかしくありません。